昭和銘瓶子
 
神の手 嶺男展  2007.2.1-2007.3.4  アートサロン光玄
「小山冨士夫先生に捧げる灰釉瓶子」をご覧になる岐阜県現代陶芸美術館学芸部長・渡部誠一氏と同館学芸員・佐野素子氏。

父は、「永仁の壷の事件」での自らの発言の責任を取って、一連の瓶子を制作しました。これはそのうちの一本です。釉薬が器胎を削って押し流すように流れています。「捧 小山冨士夫先生 三州猿投住 加藤嶺男 昭和三五年十月一日」と銘が入っています。

この瓶子は、父が18歳の頃に生掛け(素焼きをしないで釉薬をかける)で焼いたため何者かによって自作の瓶子に字が彫られていることに気付かないで焼いてしまった「永仁銘瓶子・水野四郎政春」ではなく、「昭和銘瓶子・加藤嶺男(昭和35年当時は加藤姓)作」であることを訴えているのです。

この作品は初公開で、今後の展示の予定もはっきりしておりませんので、この一点を見るだけでも、名古屋まで足を運ぶ価値ありだと思います。
(レポート・岡部美喜)
釉彩縄文壷
「縄文技法」については、父自身が「昭和20年代に縄文的構成が完成した」と記しています。
この作品は、昭和31年の作で、中でも大変珍しい釉彩によるものです。
縄文技法と油絵のようなタッチの釉が相まって、大変力強い作品です。
灰釉縄文瓶
アートサロン光玄に入ると、まず目に入る作品がこの「灰釉縄文瓶」です。この作品は昭和43年の作です。

釉彩縄文壷が前期の縄文の作品のうちの一点だとすれば、これは後期の縄文の作品です。前期の縄文にはない「灰釉」です。

父は、昭和35年の永仁の壷の事件の前には灰釉の縄文を造らなかったのです。自作の灰釉が鎌倉時代の古瀬戸に化けたという苦い経験を克服した後の作品ということになります。
鼠志野茶碗 1950年(昭和25)作
この作品を観た人は、必ずと言っていい程「この茶碗が好き」と仰います。
私は小さい頃から父の鼠志野を見慣れていて、生れた時から身近にあったという印象です。
父の志野の中でもこの古い(昭和20年代)のタイプの志野は、後の志野に比べると、少しだけ、肌合いがかさっとしています。かさっとした中にもしっとりしている、それが、この茶碗の魅力にもなっているのでしょう。
生地は薄く、口の造りも薄いので、この作品でお茶を飲んだ人は「とても飲みやすい」と言うのだそうです。残念ながら私は飲んだことがありません。


絵志野茶碗 1955年(昭和30)作
父の絵志野には白いタイプの志野と紅志野がありますが、この作品は、白いタイプの方です。
この作品は少し小振りで、生地が薄く、手の中にすっぽり入る楽しみがあります。この茶碗で飲むお茶は、また格別なのだそうです。

絵志野茶碗
絵志野と箱書きされた作品の中でも「紅志野」の方です。紅志野の技法は嶺男の発明です。
幸せ色の紅が品よく美しく、小さい頃から大好きでした。

翠青瓷大瓶(すいせいじおおへい)
いくつかある青瓷の瓶の中でも特別大きな作品です。
緑色がかった青瓷の青の中に細かい2・3重貫入が入っています。光が当たって輝く様は、まさに「玉(ぎょく)」です。

嶺男芸術について、岐阜県現代陶芸美術館学芸部長・渡部誠一氏は
「中国では、古来、形は金属器、色と輝きは玉(ぎょく)が最高のものとされている。嶺男の作品、特に青瓷の2・3重貫入の作品はこの両方の魅力を併せ持つものである。」
と述べておられます。
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