織部 ORIBE

青織部瓶子 昭和38年頃
織部の技術開発は、昭和11年(1936年、嶺男16歳から17歳)の時におこなった。
戦後の青織部はそれをさらに進化させた物で、鮮やかな緑色が特色。嶺男織部とも言われる。
この作品は嶺男織部の中でも、特に永仁の壷事件での発言の責任を取って造った一連の瓶子のうちの一本である。


志野 SHINO

絵志野茶碗 昭和32年
志野の制作は第2次大戦から復員後すぐに再開している。
志野にはこの白い志野のほかに紅志野があり、これは嶺男の発明である。


唐津 KARATSU

絵唐津壺 昭和29年
唐津の制作は第2次大戦から復員後すぐに再開。
筆を立てて長くアトリエで使っていた唐津の壷にはサインを入れていないが、この作品にはサインがある。
ブルーの釉だまりをご覧下さい。⇒
「灰釉から自然発生的に青瓷が生れてきた」と語っていた父ですが、この唐津のブルーの釉だまりを見て、念願だった『陶器の青瓷』を造ることができると確信したそうです。



黄瀬戸 KIZETO

黄瀬戸筒花生 昭和34年
黄瀬戸の技術開発は織部と同じく、昭和12年(1937年嶺男17歳から18歳)の時に行った。
戦前戦後を通じて数多く制作したジャンル。
私(美喜)が幼い頃、黄瀬戸の作品の窯出しの時、緑色に発色すべきタンパンが黒くなっていると本当にがっかりした。
それらタンパンの発色し損ないの黄瀬戸は、データを採った後、粉々に砕かれた。


青瓷 SEIJI

粉青瓷砧 昭和41年
「美しい青が印象的な青瓷の作品。青瓷の作品の中でも、これは貫入の少ない時期の作品。
この後、嶺男青瓷は、2重3重貫入の作品に向かう。
その完成後、窯変米色瓷が出てくることになる。


天目 TENMOKU

 昭和38年
天目の制作は長い間行われていた。
焼き上がりには様々なバリエーションがあり、同じ土・釉薬で出来上がるとは容易に信じられないような作品群がある。
これはそのうちの一点。ブルーの窯変が出て輝いている。


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