Photo: Sadao Ishii
「THE EAST」誌
1965年No.2より転載
愛知県猿投町(現豊田市)平戸橋の工房にて

父は1960年(昭和35)の永仁の壷の事件以来、「マスコミには自分の言ったことが報道されないで言わないことが報道される」と取材を嫌っていました。
THE EAST誌の取材の前も、気乗りしない様子だったのですが、カメラマンに会ってみたら気に入ってしまって、滅多に撮らせることのない仕事中の写真の撮影を許可しました。

 
岡部嶺男年譜

大正8年(1919)10月3日
 愛知県東春日井郡瀬戸町(現、瀬戸市窯神町)窯神山の頂・陶土の上に、
 窯道具製造業・加納家にて出生。
 当主の桑次郎の初孫として大事に育てられ、窯道具製造の叩きの技術・陶土の知識を得つつ、
 また付近にあった丸窯の火を見ながら育つ。

大正15年(1926)7歳
 瀬戸市道泉小学校入学。
昭和2年(1927)8歳
 加納から加藤と改姓。
昭和3年(1928)9歳
 瀬戸市一里塚に転居。
昭和7年(1932)13歳
 愛知県立瀬戸窯業学校入学。
昭和9年(1934)15歳
 東春日井郡守山町小幡(現、名古屋市)に転居。
昭和12年(1937)18歳
 瀬戸窯業学校卒業。
昭和13年(1938)19歳
 東京物理学校(現、東京理科大学)入学。
 学業のかたわら、頻回に帰省し作陶に励む。
昭和15年(1940)21歳
 12月、東京物理学校を中退、入営。内蒙古部隊に入る。
昭和19年(1944)25歳
 夏、フィリピンへ転戦。
昭和20年(1945)26歳
 フィリピンにて米軍捕虜となる。
昭和22年(1947)28歳
 1月、復員。愛知県西加茂郡猿投町平戸橋(現、豊田市)に居を定める。
昭和24年(1949)30歳
 岡部辰子と結婚。
昭和25年(1950)31歳
 春、結婚式を行う。
 夏、長男、辰男生まれる。1週間後に死亡。
 秋、日展に初出品。
昭和27年(1952)33歳
 2月27日、長女、麻美生まれる。
昭和28年(1953)34歳 
 夏、小山冨士夫氏初めて来訪。
 11月2日、次女美喜生まれる。
昭和29年(1954)35歳
 秋、日展北斗賞、受賞。
 縄文の作風を完成する。
昭和30年(1955)36歳
 東京日本橋丸善画廊にて個展。
昭和31年(1957)37歳
 東京日本橋丸善画廊にて個展、縄文の大作12点を展示する。
昭和32年(1957)38歳
 日本工芸会会員となる。
昭和33年(1958)39歳
 東京日本橋三越にて個展。
昭和35年(1960)41歳
 春、肺結核発病。
 永仁の壷事件起こる。
昭和38年(1963)44歳
 日本工芸会を脱会。
 この頃から青瓷の研究本格化する。
 9月、愛知県愛知郡日進町に転居。
昭和40年(1965)46歳
 粉青瓷完成。
 12月、紺綬褒章を受章。
昭和42年(1967)48歳
 粉青瓷2重貫入完成。
昭和44年(1969)50歳
 3月、新宮殿正殿梅の間に粉青瓷大砧一対を納める。
 9月、小山冨士夫氏と同行して台湾故宮博物院を見る。
昭和45年(1970)51歳
 窯変米色瓷完成。
昭和46年(1971)52歳
 東京日本橋高島屋にて回顧展。
昭和49年(1974年)55歳
 東京日本橋高島屋にて個展。
昭和53年(1978)59歳
 7月23日、脳出血で入院。
 加藤から岡部へ改姓。
昭和56年(1981)
 日本経済新聞主催で日本橋高島屋、松坂屋本店(名古屋市)にて回顧展。
平成1年(1989)
 松坂屋本店にて再起新作展。
平成2年(1990)
 9月4日、死去。
 自宅にてベートーベン作曲、弦楽4重奏作品132による音楽葬。 
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